はじめに
今回は、米国にある世界最大の独立バイオテクノロジー企業アムジェン(AMGEN)が推進するDX戦略を解説します。近年、製薬業界でもビッグデータを使った創薬プロセスの変革や、最新のデジタル技術を使った治療アプリなど、さまざまな新しいソリューションが開発されており、各社の競争はますます激しくなっています。アムジェンでも、遠隔モニタリングシステムの開発や機械学習を応用した研究の推進など、デジタル技術を使ったさまざまな取り組みを発表しています。今回は、アムジェンで推進しているDXの取り組みを見ていきます。
アムジェンにおけるDX推進の取り組みについて
アムジェンは、科学的イノベーションのリーダーを自負しており、医薬品開発を超えて、手頃な価格でのアクセスの拡大したり、治療法を変革したり、協力者と持続可能なヘルスケア・エコシステムを創造したりするための方法を模索しています。
40年前に設立されたアムジェンは、バイオテクノロジー革命の初期のリーダーであり、DXの時代に突入するにあたり、ライフサイエンスとデータ分析を組み合わせることで、再び先駆的な存在となっています。
1) 遠隔モニタリングシステムの開発
アムジェンは複数の学術機関や医療機関と共同で、「HF-eVOLUTION」の開発を始めました。HF-eVOLUTIONはウェアラブルデバイス、心拍数、血圧、活動量などのバイオセンサー、睡眠モニタリングツールなどのデジタルソリューションから、医師がリアルタイムでデータを取得し、そのデータを心不全の患者の治療の改善につなげることを狙っています。米国においては心不全の患者は約650万人(日本では約120万人)に達し、毎年約300億ドルの医療費がかかっています。心不全の治療については、統一の治療ガイドラインの採用が遅れており、治療の一貫性がない状況です。
HF-eVOLUTIONを使うことで、医師と患者間のコミュニケーションが密になり、医師の意思決定の時間を短縮するとともに、個別化した治療を患者に提供できるようになることが期待できます。
2) 骨粗しょう症における骨折リスクの予測
アムジェンは、骨粗しょう症の患者向けに、人工知能(AI)と自然言語処理を使用する新しいデジタルヘルスアルゴリズム「Crystal Bone」を開発しています。これにより、医師が患者の骨折リスクを予測することを容易にし、骨折する前に予防できるようなる可能性があります。研究の初期段階では既存の医療記録を使用して、今後1~2年の間に骨折のリスクがある患者を予測できることが分かりました。さらに、Crystal Boneを電子カルテと直接統合することで、医師の業務に影響を与えることなく、骨折のリスクが非常に高い患者の特定を容易にすることが期待できます。
現在の骨粗しょう症の診察では、患者の骨折を発見するために、レントゲン写真を読み取るような画像分析を中心にAIが使われています。Crystal Boneは既存の電子カルテにプラグインして使うことができ、電子カルテに記録された患者の診断コードから、骨折のリスクを予測できます。また、Crystal Boneは、保護された患者データを別のシステムに転送する必要がないため、誰も個人情報にアクセスすることはなく、情報セキュリティ面でも安全と言えます。
Crystal Boneのアルゴリズムは、デジタル機器でのテキスト予測と同じタイプの自然言語処理で構築されています。スマートフォンには、周囲の文脈を見て次に何を言うかを予測するアルゴリズムが使われていますが、Crystal Boneでも同様のアルゴリズムが使われています。具体的には、患者の電子カルテの診断コードが文脈に該当し、特定の期間内に骨折する可能性が予測に該当します。Crystal Boneの最大の強みは、1年から2年という予測期間の短さです。10年以内の骨折を予測するツールはすでにありますが、緊急性を明確にする意味でも、直近の骨折を予測できることは大きなメリットです。
骨粗しょう症は決して珍しい病気ではなく、骨折した患者の治療に多くの医療費がかかっています。骨折する前にそのリスクを明らかにし、患者をサポートしていくためにもCrystal Boneの活躍が期待されます。
3) 機械学習を使った多発性骨髄腫の研究
多発性骨髄腫は血液がんの一つで、骨の中の骨髄にある形質細胞ががん化する病気です。多発性骨髄腫は、その症状の現れ方が多様であることもあり、最近のがん研究の進歩で治療法は進化しているものの、まだ完治には至っていない疾病です。
最近は、ゲノムデータと因果的機械学習の組み合わせにより、多発性骨髄腫の理解がさらに進んでいます。因果的機械学習が成果を出すには、膨大な量の信頼性の高いデータが必要です。アムジェンは、大量のゲノムデータセット(ゲノムの変化、遺伝子発現の変化、臨床試験結果など)を所有している多発性骨髄腫研究財団などとともに、多発性骨髄腫の縦断的な研究に参加し、多発性骨髄腫の解析を進めています。共同研究の目的は、患者のゲノムプロファイルと臨床試験結果をマッピングすることで、治療に対する患者の反応を完全に理解することです。
これまでの研究で、大規模データセットに因果的機械学習を適用した結果、高リスクの状態に至る可能性のある特徴量の組み合わせが分かりました。さらに、多発性骨髄腫の治療に幹細胞移植が特に有効と考えられる患者のグループを特定できました。具体的には、リバースエンジニアリングモデルで多発性骨髄腫の治療法とその結果の関連性を調べることにより、幹細胞移植の有効性を示すバイオマーカーを発見しました。このバイオマーカーの発現レベルにより、どの患者が幹細胞治療によい反応を示し、どの患者がそうでないかを予測できるようになりました。従来の一度に1つの特徴量だけを変化させて実験する方法であれば、バイオマーカーの発見までに数年かかる可能性がありましたが、今回の因果的機械学習により数カ月で発見できました。
4) デジタル技術を用いた医薬品開発プロセスの変革
医薬品開発プロセスにおいて、商業規模で製造して患者のニーズに応えるに至るには、膨大な実験、複雑な分析、絶え間ないイノベーションが必要であり、アムジェンでは1,500人以上の研究者とエンジニアがこのプロセスに関わっています。その過程では、グローバルで膨大なデータが得られますが、これまでの課題は、プロセス開発内の機能がサイロ化されたプロセスやシステムからのデータに依存しており、データを十分に分析できていないことでした。研究者、エンジニア、データアナリストが、大規模で複雑なグローバルデータに効率的にアクセス、統合、分析できないことは、アムジェンに限らず製薬会社各社に共通する問題と言えます。その結果、手作業でデータを集めて解析したり、他のグループがすでに同様の分析を行っていたことを知らなかったために、同じ分析を繰り返したりと、多くの無駄が発生していました。
アムジェンは、データレイクを活用して会社が所有するデータとその分析を集中化・民主化することで、創薬から製品化までのサイクルタイムを大幅に短縮することができました。その実現にあたりアムジェンは、医薬品ビッグデータコンサルティングのリーダーであるZS社と提携しました。
具体的には、Hadoop、AWS、および関連するさまざまなビッグデータ技術(エンタープライズデータレイク)を活用して、GMP(Good Manufacturing Practice)に準拠した検索可能な集中型リポジトリを構築し、構造化データと非構造化データをほぼリアルタイムで統合したものを分析します。データセットの例としては、製造管理システム、品質管理システム、ラボシステム、ERPシステムなどがあります。このデータレイクにより、医薬品開発プロセスは大幅な効率化を実現しました。数時間かかっていた分析が数分から数秒でできるようになり、数日から数週間かかっていた分析も数時間で完了するようになりました。その結果、アムジェンは製品や各拠点での過去の製品情報を分析でき、全体的な性能や品質を予測することができるようになりました。
また、製造スケジュール内での追加ロットの製造可否を予測することもできます。それ以外にも、ほぼリアルタイムでのリモートプロセスモニタリングや、当局による監査での迅速な情報提供など、さまざまなことができるようになりました。
おわりに
今回は、アムジェンのDX戦略を紹介しました。アムジェンは遠隔モニタリングシステムや、医薬品開発プロセスの変革など、デジタル技術を使って新たなソリューションの開発を進めています。アムジェンが構築したデータレイクを使って、さまざまなソリューションの開発が期待されます。
参考サイト
Our Approach to Pricing, Access and Affordability
You Say You Want a (Healthcare) Revolution? Match Tech with Biotech.
Amgen’s Crystal Bone Algorithm May Help Identify Osteoporosis Fracture Risk