はじめに
今回は、国内の製薬会社である中外製薬株式会社(以下、中外製薬)が推進するDX戦略を解説します。
中外製薬は、スイスの製薬大手ロシュ社の傘下に入っており、ロシュ社の創薬技術と中外製薬のバイオ医薬品の開発力を生かして、15年で売上げを約2倍に増やすなど、順調に業容を拡大しています。中外製薬では、デジタル化について、2030年を見据えた「CHUGAI DIGITAL VISION 2030」をビジョンとして掲げており、デジタル技術を使った新しいソリューションの提供を推進しています。この取り組みが評価され、2020年8月に経済産業省が発表した35社の「DX銘柄2020」の1社として選ばれました。医薬品業界で選ばれた唯一の企業であり、その取り組みが注目されています。
今回は、中外製薬で推進しているDXの取り組みを見ていきます。
中外製薬におけるDX推進の取り組みについて
前述の通り、中外製薬では「CHUGAI DIGITAL VISION 2030」を掲げています。これは、デジタル技術で中外製薬のビジネスを大きく変えて、画期的なヘルスケアソリューションを提供するトップイノベーターになることを目標としています。具体的には「デジタル基盤の強化」「すべてのバリューチェーン効率化」「デジタルを活用した革新的な新薬創出」を3つの基本戦略とし、この基本戦略をベースにさまざまな施策を進めています。
1) デジタル基盤の強化
中外製薬では、ハードとソフト両面の基盤構築を進めています。ハード面では、ロシュグループの一員であることを生かし、社内のさまざまなデータの統合やデータ解析基盤の構築を通して、グローバルレベルのIT基盤の確立を目指しています。ソフト面では、データサイエンティストなどデジタルに強い人材の採用・育成を積極的に進めるとともに、社員のチャレンジなどから新しい価値を創出するための基盤を整備しています。
①Chugai Scientific Infrastructure(CSI)の構築
中外製薬では、AWSを生かして大容量のデータへ安全にアクセスし、それを活用するためのIT基盤「Chugai Scientific Infrastructure(CSI)」を構築しました。CSIにより、社内データの有効活用、高いセキュリティの確保、外部との共同研究を迅速に進める研究環境の提供、環境構築コスト低減などを実現し、同社のデジタルへの取り組みを加速させる基盤となることが期待できます。
②Digital Innovation Lab(DIL)の設立と運営
社員の自由な発想やチャレンジを現実のものにするため、DILを設立し運営しています。具体的には、ワークショップや公募でデジタル戦略に沿ったアイデアを募集し、その中でインパクトを与えそうなアイデアを具体化し、それをトライ&エラーで素早く実現性を検証し、実現性の高そうな企画を実現に向けて開発する、というしくみです。目先の投下資本利益率ではなく、先進性や拡張性、将来性などの、一歩先を見据えたさまざまな取り組みの創出が期待できます。
③デジタル人材戦略の強化
中外製薬はデジタル技術に力を入れていることを社外にアピールすることで、データサイエンティストなどのデジタル人材を獲得したり、デジタル系のパートナー企業と協業を実現するとともに、その波で社員の意識を変革してデジタル変革につなげようとしています。また、人材採用の一環として、応募者が自身のスキルの同社への親和性や、ビジネスへの適性などを入社前に確認できるようにし、外部の人材と同社とのマッチングを進めています。
2) すべてのバリューチェーン効率化
中外製薬では、人工知能(AI)やロボティクスなどのデジタル技術を生かし、バリューチェーンにかかわる社内の各プロセスの大幅な効率化を目指しています。また、デジタル技術を生かして高度な情報を提供したり、新しいソリューションを提供することで、医療への貢献を図っています。
①バリューチェーンの各プロセスでのAI活用の促進
精度の高い予測と解析の自動化が可能な機械学習プラットフォーム「DataRobot」を全社で導入して、研究、生産、営業などのプロセスで活用しています。例えば、生産プロセスでは、製剤工場で最適な製造条件を決めるのに、従来は勘や経験に頼ることもありましたが、DataRobotを用いることで最適な製造条件を素早く決めることができ、規格を外れる不適合品を製造するリスクが低下しました。また、営業プロセスでは、デジタルマーケティングに力を入れています。新型コロナ禍でMRが医師に直接会うことが難しい状況の中、医師と効果的なコミュニケーションを取れるよう、デジタルを活用した取り組みを進めています。
②研究所におけるラボオートメーションの開発
ロボットの活用や実験を自動化する機器の活用以外に、薬剤のデザインからデータ解析までの研究プロセスを統合するIT基盤を構築し、創薬プロセスを飛躍的に効率化するとともに、革新的な新薬の創出につなげるしくみを開発しています。
③リアルタイムな安全性情報提供の高度化
治験から製造・販売まで一貫した安全性に関するデータを、リアルタイムで医療関係者に提供できるしくみを作り、的確な治療の支援を目指しています。また、医療関係者が安全性のデータに素早くアクセスできるなど、緊急時に必要な情報を迅速に提供するプラットフォームを充実させることで、安心で安全な治療への貢献を図ります。
④医療貢献に向けた新たなソリューションの開発
デジタル技術を生かして、24時間対応のチャットボットの活用、疾患アプリの開発、医師向けサイトの開設、ウェブ講演会の開催などを行い、高度な情報提供やコミュニケーションを推進しています。また、各医療関係者の多様なニーズに対して、最適なソリューションを提供するコンサルティングプロモーションの向上を実現すべく、社内データを活用できるデジタル基盤の構築を進めています。
3) デジタルを活用した革新的な新薬創出
3つの基本戦略の中で、中外製薬が最も重要視しているのが、創薬におけるデジタル技術の活用です。中外製薬では、3つの取り組みを軸にしてDxD3(Digital transformation for Drug Discovery and Development)を実現し、真の個別化医療を目指しています。
①AIを生かした創薬
AIなど先端のデジタル技術を生かして、医薬品の候補となる化合物の創出や、創薬の成功確率向上といった研究プロセスの変革を進めています。具体的には、化合物の特性情報を使って独自の機械学習モデルを構築し、医薬品の種となる化合物の選定や、目的とする特性を持つ化合物の最適化につなげています。AIを生かすことでさまざまな予測が可能となり、研究者はより付加価値の高い化合物の探索に取り組めます。最終的には、候補となる化合物をより迅速に創出できるようにし、競争力の向上につながげることを目指しています。
最近の例では、FRONTEO社が独自に開発した自然言語解析AIを活用した論文探索AIシステムや、疾病メカニズムを可視化できる新しいシステムを、中外製薬の創薬プロセスに使うべく、FRONTEO社とライセンス契約を締結しています。
②デジタルバイオマーカーへの取り組み
患者の生体データを継続的に取得できるウェアラブルデバイスなどを開発し、症状の変化をタイムリーに把握する取り組みを進めています。現在、複数の製品の開発の際に、薬剤を投与している患者の活動データの評価などをするために、ウェアラブルデバイスを用いています。ウェアラブルデバイスで取得する患者の生体データを基にして、新しい価値の提供を目指しています。
例えば、米国Biofourmis社と共同で、子宮内膜症に伴う痛みを客観的に評価するデジタルソリューションの開発を進めています。子宮内膜症の痛みは、患者が社会生活するうえで大きな障害となることがあります。患者にしか分からない痛みを定量化することで、適切な治療につなげることを狙っています。
③リアルワールドデータの活用
臨床-がんゲノム情報データベースへのアクセスや、リアルワールドデータの解析を通して、臨床開発戦略を刷新したり、実臨床でのエビデンスを高度化したりなどへの取り組みを進めています。リアルワールドデータとは、レセプトや電子カルテなど、医療現場から得られる匿名化された患者単位のデータのことで、リアルワールドデータから得られる情報を活用すれば、医薬品に新たな情報を与えることができるようになり、医薬品の付加価値向上につなげられることが期待できます。
おわりに
今回は、中外製薬製薬のDX戦略を紹介しました。中外製薬は、「CHUGAI DIGITAL VISION 2030」を掲げてデジタル化の目標を明確に定めており、デジタル技術の導入を積極的に進めている製薬企業の1社です。今後の製薬業化のデジタル化の動向を占ううえで、中外製薬の取り組みは特に注目に値するでしょう。
参考サイト
中外製薬、デジタルトランスフォーメーション推進に向け「CHUGAI DIGITAL VISION 2030」を発表