はじめに
今回は、米国の製薬大手であるMSD(米国メルク)が推進するDX戦略を解説します。デジタルトランスフォーメーション(DX)は、製造業を将来の成功へ導く可能性を秘めています。DXでビジネスを成功に導くためには、DXに対応した企業文化と具体的な戦略を確立し、それをビジネスの目標と整合させる必要があります。世界製薬大手のMSDでも、製品データ管理などでデジタル技術を使ったさまざまな革新を推進しています。今回は、MSDで推進しているDXの取り組みを見ていきます。
MSDにおけるDX推進の取り組みについて
最近、MSDのDXへの投資の概要とその投資理由が発表されました。MSDの経営陣は、DXによりグループ全体で10億ドル、そのうち製造部門で5億ドルのコスト低減を実現できると見込んでいます。以下の3つの領域で進められているデジタル技術による革新について、それぞれの取り組みを詳しく見ていきましょう。
・製品データ管理
・予測状態監視
・テクノロジーを活用した試験室
1) 製品データ管理におけるDXの推進
MSDの上位3製品の売上は供給量のみに左右される状態で、非常に恵まれた環境と言えます。これは、もしこれらの製品をより多く作ることができれば、より多くの製品を売ることができることを意味します。作れば作った分だけ売れる状態なため、製品の在庫切れ、不具合によるロットアウト、材料廃却などが起こらないよう、製造部門には常にプレッシャーがかかっています。そこで、工程のよい状態を維持できるよう、製品データ管理に焦点を当てた取り組みを開始しています。
この取り組みには、すべてのデータソースを製造データレイク(ビッグデータを生データのまま格納できるストレージリポジトリ)に統合し、製造工程の分析を行うことが含まれています。この取り組みの目的は、プロセスエンジニアとデータサイエンティストが、製造上の問題の根本原因をデータに基づいて追究し、製造工程を最適化することで、同社のワクチンの収量と有効性の両方を向上させることにあります。
製造現場のデータソースには、データヒストリアン(大量のデータを収集するためのシステム)、バッチヒストリアン、ラボ情報管理システム、製造実行システムなどが含まれます。入力データには、原材料や補給品のデータも含まれます。これらのデータは、現在は大部分がサイロ化(それぞれが独立したシステムに保管された状態)されていますが、これらのデータはすべて共通の分析プラットフォームに送られ、ダッシュボードとセルフサービスエクスポート機能でトレンドや高度な分析結果を表示できるため、プロセスエンジニアやデータサイエンティストは、自分の仕事に必要な形式でデータを出力できるようになります。
なぜ、製品データ管理がそれほど重要なのでしょうか。エンジニアは問題解決のために、複数のバッチにわたる測定値を確認して、委託製造組織間、社内外、サイト間、ラボ間でパフォーマンスを比較したいと考えます。しかし、現在、MSDでは他の多くの企業と同様に、データの整理と分析はMicrosoft Excelに大きく依存しています。データヒストリアンからこれらのスプレッドシートにデータをエクスポートすると、エンジニアが求める結果を得るのに時間がかかることがあります。必要なデータの多くは手作業で収集するため、これは面倒で時間のかかるプロセスです。
さらに、電子データは異なるシステムに保存されているため(サイロ化されているため)、エンジニアが適切な情報を取得して相互に関連付けることはとても困難な作業です。これらのハードルを克服するために、同社は最も収益性の高い製品から順番に、分析のためにデータレイクにデータを保管することに着手しました。将来的には、メルクはすべてのデータをデータレイクに保存する予定です。データレイクへは製品中心のデータを保管していますが、新製品を簡単に追加できるようにしたいため、特定の製品に特化していません。データレイクにデータを蓄積することで、以下が期待できます。
・自動化により「タッチタイム」(生データに触れる時間)とリードタイムを短縮する
・トラブルシューティングや調査のための手法を補助する
・データ分析により、サンプルの性能をより深く理解する
同社は、社内データとサプライヤーや協力会社からの社外データの両方を、データレイクに保管することを考えています。これらの関連会社と、プロセスに影響を与える知的財産を尊重するための合意に達しつつあります。
2) 予測状態監視におけるDXの推進
MSDの予測状態監視システムは、8年前から稼働しています。このシステムでは、状態監視技術を使用しており、機器に大きな故障が発生する前に修理を行うしくみです。同社の製造工場には、ポンプ、モーター、コンプレッサーなど、多くの回転機があります。これらの機器の稼働時間を最大化するために、同社はベアリングマウントに振動センサーを取り付けて、振動の時系列データを収集・解析し、回転機の特定の故障モードに関連するピークと周波数のデータを調査しています。これにより、コンプレッサーやその他の回転機の直近の故障を特定できるようにするとともに、長期的にいつトラブルに見舞われるかを予測することが可能です。
一般的な故障モードは、ベアリングの不良、位置ずれ、周波数領域に関連しています。特定のピークが検出されると、エンジニアは故障モードを明確に判定できます。深刻な状態を表すピークが検出されると警告レベルになり、同社の信頼性エンジニアがトレンドを監視するクローズドループプロセスに移ります。トレンドが中程度から重度の故障の可能性を示した場合、エンジニアは機械を停止して、致命的な故障を回避するためのベアリング修理に必要な稼働停止時間を計画します。
ここで、高度なデータ解析結果とプロセスや機器の動作を関連付けるには、かなりのドメイン知識が必要です。ベアリングの事例では、どの周波数がどの故障モードに対応するかを理解することに該当します。機械学習アルゴリズムだけでは状態監視に十分ではなく、適切な信号処理と専門家のドメイン知識を組み合わせることで、初めて、機械学習アルゴリズムは障害が発生する可能性がある時期を予測できるようになります。
3) 試験室におけるDXの推進
MSDのもう一つの大きな取り組みは、デジタル化を活用して試験室のパフォーマンスを向上させることです。試験室の結果は、高品質の製品を生産するのにとても役立ちます。最近の同社の試験的な取り組みにおいて、試験室で製造実行システムの技術を活用して、紙ベースの作業指示書を電子的な作業指示書に置き換えました。その他にも、電子仕様管理、化学物質在庫管理、測定器校正管理などのデジタル化などを推進しています。
また、製品のリリースの際には、試験室の評価結果が使用されます。しかし、製造プロセスや試験室の評価データは、いくつかの要因により変動することがあります。同社は、試験室から多くのデータを取得し、そのデータを分析プラットフォームに投入することで、データの変動や規格外の製品の原因が、試験室にあるのか、製造上の問題にあるのかを判断でき、速やかな問題解決につなげることができます。
おわりに
今回は、MSDのDX戦略を紹介しました。MSDでは主に、製造プロセスの革新にデジタル技術の活用を進めています。同社の取り組みは製造メーカーにも参考になると思われるので、その動向に注目しましょう。